9.11の同時多発テロ。

今では、国家がらみの仕組まれた事件だとか、実に様々なうわさが流れています。その真相は未だ100%解明したとは言えないでしょう。

しかし1つの真実は、現場に・・・ニューヨークに・・・アメリカに暮らす人たちに与えられた悲しみと絶望です。

現地に住んでいる私がその当時の体験をお教えします。

 

 

 
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その日の朝は、珍しく朝早く目が覚めて、パソコンのOSのダウンロードをしていたのです・・・パソコンのOSをダウンロードする時なんて人生の中で数回しかありません。そのためはっきりと覚えています。

すると、ダウンロードが途中で止まってしまい、どうしたのだろう?と思ってテレビをつけたら、貿易センタービルから煙が上がっているところを目にしました。

訳も分からず、「なんだろう?」と思っていたら、2機目のジェット機がビルに激突するシーンが目に飛び込んできました。

 

これは大変な事が起こったと思い、フォトジャーナリストの私はカメラを持って、住んでいたビルの屋上に上がって、写真を撮りに行きました。

 

南側から空に向かって灰色の煙が立ち上っていました。

 

私が住んでいるところから貿易センタービルまで直線で約8キロあったのですが、それでも煙がすぐそこにあるように見えたのです。

屋上で撮影をしていたら、一緒に見ていた女性が近くのラガーディア空港に着陸しようとするジェット機を見て、またビルにぶつかるのではないかと心配して悲鳴をあげていました。

私は日本の放送局でリポーターをしていたことがあったので、すぐにその放送局から電話がかかってきました。

すぐに状況をリポートするように、と言われたのです。

窓から外を見ると、車もバスも全く走っていなくて、交通手段がないので、人々がゾンビのようにただひたすらに歩いている姿が見えたのです。

 

誰も話をする様子がなく、異様な雰囲気でした。

 

日本のジャーナリズムはそういう事態が起きた時に、大げさに悲鳴をあげるようにヒステリックなリポートをする傾向にあるのですが、私はアメリカのリポーターの冷静なリポートの仕方に感銘を受けて、できるだけ感情的にならないように気をつけてリポートしました。

すると、ディレクターから「うちが一番だった!」と日本で最初のニューヨークからのリポートだったことを喜ぶ声が聞こえてきました。

 

 

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ニューヨークは橋もトンネルも閉鎖されてマンハッタン島は孤立したのです。

 

 

そして、警戒態勢にあったマンハッタンの上空を戦闘機が2機、巡回するように飛び回っていたました。

全米の飛行機は着陸し、飛行機が全く飛んでいない状態になっていました。

テレビでは貿易センタービルが崩壊するシーンが何度も流されて、音楽が消え、コマーシャルも消え、ただひたすらに同時多発テロのニュースを放送し続けていました。

私はその様子を日本にリポートするためにテレビのニュースをずっと見ていました。

 

日本の放送局のディレクターからは、今こそフォトジャーナリストとして活躍する時だ、と言われましたが、私は身内を亡くした人たちにカメラを向けることができませんでした。私はフォトジャーナリストとして失格だな、と思いました。

テレビであまりにも何度もジェット機が貿易センタービルに激突するシーンが放送されていたため、何度も何度もそのシーンを見てショック状態になっている人たちが続出しました。その結果、激突するシーンを放送しないことになったのです。

まさに異常事態の連続で、初めての経験ばかりでした。

 

日本で異国の「映画のシーンのような」と言われたテロの現場は、決してそんなことではなく、そこにいないとわからないような緊迫感があったのです。

次に何が起こるのかわからないという不安と、絶対的に強いと思われていた貿易センタービルが崩壊するという思ってもいなかったことが起こったことへのショックで、人々は深く傷ついていたのです。

日本ではニュースが終わればまたコマーシャルが流れ、日常に戻ることができたのでしょうが、ニューヨークはその日を境に日常が非日常になってしまったのです。

コマーシャルがテレビから流れてくるようになるまで3日はかかりました。

音楽が流れない状態というのはとても精神的に疲れることなのだということが改めて痛感させられて、非常にショッキングな出来事で、忘れられない経験でありました。

 
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