私は以前、アフリカのガーナという国に海外短期ホームステイしたことがあります。
なぜアフリカだったのか、なぜ旅行ではなくホームステイだったのかと言うことを「アフリカの現状」を踏まえながら紹介します。
ガーナ短期ホームステイに魅力を感じた理由
私は大学時代、国際学部にて国際経済学を学んでいました。
もともと海外に強い憧れがあり、少しでも多くの国を訪れてみたいという思いがありました。
大学2年の時に1年間中国に得遊学をし、近年発展している中国経済と中国語を現地で学び、海外に対する想いはより深くなりました。
世界各国から同じ留学生として接しているヨーロッパやアメリカの人たち、そして地元中国の友人たちと接していく内に「物事は先入観で決めるのではなく、実際にその現場で人と話してみないとわからない」と言うことに気づきました。
実際に私は中国で1年間生活をしたことにより、以前より持っていた中国に対する先入観は一気に良い方へ変わりました。
留学から帰国後に、バイトをしては海外旅行をして、という生活を繰り返していたのですが、そんな時にアフリカに対して強い関心を持ちました。
きっかけは大学の授業で見たアフリカに関する映画でした。
「飢餓で苦しみ、持っている財産は先進国に全部取られ、貧しいながらも笑顔で生きたいる」というストーリーからアフリカに関心を持ち、同時にアフリカに行きたいと思いました。
幸い、大学のゼミの先生がガーナの小学校とコネクションを持っており、紹介してもらいました。
私はつたない英語で作成したメールで連絡を取り合い、そのちょうど2ヶ月後にガーナに行くことを決めました。
大学の単位取得も順調だったので、その期間は重点的にバイトをしてホームステイの資金を稼ぎました。
その中で予防接種の注射を打ち、大使館でVISAの手配・・・そして、いざ出発の日を迎えました。
ガーナ短期ホームステイ
東京から26時間の飛行を終えて到着した首都のアクラ空港はとても熱く、殺人的な日差しでした。
受け入れ先のマスターと空港で落ち合い、まず家に連れて行ってもらいました。
私は以前の留学中の経験から「現地の人の生活にお邪魔しなければその国のことはわからない」と思っていたのでホームステイを希望しました。
ガーナ流のホームステイ受け入れ方法として、「滞在日数分の食料を渡す」というのがあったので、市場で食料を購入して全員の前で渡し、ホームステイはスタートしました。
家は合計11人の大家族で、
- 鍵がかからない家で寝泊まり
- 罠を仕掛けて鶏を捕まえさばく
- 朝は2キロ先まで水をくみに行く
- シャワーはバケツ1杯の水を4日に1回しか利用できない
という日々を過ごしました。
ガーナの日常の中で過ごしていく内に、少しずつその現実が見えてきました。
「目の病気で、お金が無くて病院に行きたくても行けないから神様に祈るしかないの」とその家のお母さんは言い、毎日のように協会に通っていました。
「洋服を買うお金があるなら食べ物を買う」と言って同じ服を毎日着続けるお兄さんなど、毎日たくさんの気づきがありました。
そこはガーナの中でも「中流階級」の家でしたが、日本では考えられない生活でした。
マスターが経営していたのは「ニマ」というスラム街の小学校で、日中はそこに行き子供たちと交流をしたり一緒に授業を受けたりしていました。
そのスラム街はガーナの下級の生活をしている地域で、街中に汚水が流れ、子供たちは裸足で、その子供たちが間違えて汚水に脚をつっこみ傷から禁が入り病気になっても病院にも行けず、ご飯も満足に食べれない、という状況を目の当たりにしました。
しかし、小学校の子供たちも、スラムに住む子供たちも常に満面の笑みを浮かべていました。
私はとてもショックを受け、現地のマスターに話を聞きました。
「私たちは常に死と隣り合わせの生活をしているから、明日死んでも納得できるように毎日笑って過ごすんだ。アフリカの国々は農作物が豊だが、力がないので欧米諸国に全部取られてしまう。悔しい気持ちは有るけど、それでも前を向いて生きていくしかないんだ」
とマスターは言いました。
ガーナ短期ホームステイの後・・・
アフリカに対する「衝撃」と「強い関心」と「興味」を日本に持って帰り、必死に自分で勉強しました。
そして、アフリカの歴史を知り、現実を知り、現地で見てきたものや経験してきたことをこのままにしておきたくないと思い、大学のゼミでの発表や母校の高校で「体験記」といったかたちで話をするという活動を始めました。
ガーナで過ごした約1ヶ月のホームステイの経験は私の人生を大きく変えてくれました。
そして、そのきっかけになった現地で出会った方々への恩返しとしてはガーナを始め、アフリカの現実を少しでも多く伝えていくことだと思いました。
ガーナに行ったからといってアフリカを全部知ったことにはもちろんなりませんが、それでも「多少の知識」はつきました。
実際に行くことによって見えてきたものや、わかったことはいくつも有りました。これからはアフリカの現実を少しでも多くの人に伝えるために発信していきたいと思います。