山や森の神様(国土の70%以上を山や森が占めている日本において、一般的に山の神は女性だったとされています)に象徴されるサン、中国地方を中心に鉄器を扱う鍛冶屋に信仰され、たたら場に深い由縁を持つ製鉄神(金屋子神=女神)を象徴するエボシ、2人の女神がそれぞれ守るべきもののために戦う「もののけ姫」、どちらにも正義があり、とても深いテーマを扱っていて、見るたびに考えさせられる映画ですね。
でも、見るたび気になってしまう点がいくつかあるのです。
ジブリには珍しい(?)正統派王子様っぽい主人公であるアシタカがサンに言った、

「生きろ・・そなたは美しい。」
という有名なセリフ。
でも、裏を返せば、ブスは死ね、とも聞こえるのは私だけでしょうか?笑
カヤへのお仕置き
そんな「もののけ姫」のストーリー進行上全く関係ないけど、気になる点と言えば、カヤへのお仕置きとはどのようなものなのか?ということです。
物語の最初、アシタカがタタリ神の呪いを受け、髪を切って村を出ていくシーンです。

「兄(あに)さま!」

「カヤ!見送りは禁じられているのに・・。」

「お仕置きは受けます。これを私の代わりにお伴させて下さい。」

「大切な玉の小刀じゃないか。」

「お守りするよう息を吹き込めました。いつもカヤは兄さまを想っています。きっと・・きっと・・。」

「私もだ。いつもカヤを想おう。」
アシタカを「兄さま」と呼んだため、カヤをアシタカの妹だと思った人も多いですよね。
でも、「兄さま」という呼び方は自分より年上・目上の人に対する尊敬・敬意を込めた呼び方であり(「風の谷のナウシカ」でもナウシカは村の子供たちに「姫姉さま」と呼ばれていましたね!)、カヤはアシタカの妹などではなく許嫁だったのです。
ウィキペディアにもそう掲載されていましたし、ジブリの鈴木プロデューサーも、
「カヤはアシタカの妹ではないのですか?」という質問に対し、「そりゃそうですよ!妹だったら面白くもなんともない!!」と答えています。
玉(黒曜石)の小刀は、当時「変わらぬ心の象徴として異性に贈る」という習慣があり、求婚を意味したり、婚約指輪や結納にも似た意味があります。
嫁入りの際に受け継ぐ家宝ともいうべき大切な品なので、元々婚約者だったとしても、もはや髷を切って掟により村を去るアシタカに渡して良いものではないのです。
それが分かっているからこそ、カヤは、

「お仕置きは受けます。」
と、言っているのですが、この‘お仕置き’って一体どのようなものなのでしょうか?
当時、掟を破る=死に値するほどの意味があり、
お仕置き=死罪
という考察が一般的です。
お・・重すぎる・・!
おしりペンペン、や、げんこつ1発!くらいなレベルではないだろうな、とは思ってましたが・・。
でも、この説は個人的に完全に否定したいところです。
理由はアシタカの態度。
この後死罪になる元許嫁に対して、いくらなんでも軽すぎです。

「私もだ。いつもカヤを想おう。(ま、お前、もう死罪決定だけどな。)」
と、思っていたとは考えられません。
本当にカヤへのお仕置きが死罪なら、もっと血相変えて、

「見なかったことにするから村へ帰れ!」
と追い返すか、カヤに気付いた瞬間に、見送りさせないためにヤックルを全力疾走させて逃亡しそうなものです。
「もののけ姫」の時代背景である室町時代の掟に関して調べてみた所、村の平和や秩序を崩すような放火や殺人などの犯罪行為に対しては死刑が規定されていましたが、その他の罰則については、村からの追放・財産の没収・集落内で婚姻関係を結べないなど(ただ、数カ月から数年経過後に解除されるケースがほとんど)でしたので、アシタカのサラリとした別れ際から考えて、カヤは執行猶予が付く後者のケースだったのではないかと(希望的観測ですが)考えたいところですね。
タタラ場の女性みんなきれいすぎる説
他にもどうでも良いけど気になる点と言えば、タタラ場の女性陣は美人揃いなのに、男はアシタカ以外がちょっとヒドイ・・。
こんな顔面偏差値ではアシタカに、

「ブスは死ね」
と言われてしまいそうです。
これは何故なのでしょうか?
自分なりに考察してみました。
タタラ場の女性達は元々は戦争に負けた国の女性だったのか、口減らしのためだったのか、身売りされてきた女性をエボシが買い戻してタタラ場に連れてきた女性でしたね。
それなりに顔立ちが整っていないと商品価値があまりないため、売る方も売るに売れず、売りに出されている女性は全員美しいのでしょうか?
だからタタラ場の女性はみんな美人なのでしょうか?
ところがそういう訳ではなく、美しい女性は遊女となり売春の仕事に従事させられていましたが、他にも飯炊きやお針子などの下働きの仕事もありますので、かなり買い叩かれますが、美人じゃないと売れない、という訳ではないようです。
実は、エボシには作中では明らかにされていない裏設定があるのです。
それは、エボシ自身がかつては売られた女性だった、というもの。
過去には人身売買の商品であり、海外に売り飛ばされ、倭寇の頭目の妻になります。
(倭寇とは、朝鮮半島&中国大陸沿岸部、また東アジアの様々な地域で略奪行為を行っていた海賊のことです。
構成員はというと、初期倭寇はほとんどが日本人、後期倭寇は主に中国人+一部日本人だったそうで、「もののけ姫」は室町時代後期の話と考えると、エボシは中国人の妻だったのかもしれませんね。)
その後、次第にエボシは倭寇の組織を支配するようになり、頭目を自らの手で殺害!
金品を奪い、故郷である日本に戻ってきたそうです。
その途中に明国で当時の最新式の武器である「石火矢」を手に入れたのこと!
宮崎監督はエボシのことを、
「ものすごく複雑な傷を負いながら、それに負けない人間がいるとしたら、彼女のようになるだろうと思ったんです。」
と、言っています。
ものすごい苦境から抜け出した女性なのですね。
(ちなみに、ゴンザというエボシの側近であるハゲ頭の大柄な男性は、エボシが所属していた倭寇の一員で、その当時からエボシに惚れているそうです!)
もしかして、この裏設定に秘密があるのではないでしょうか?
つまり、エボシは、「エボシ様ときたら、売られた女を見るとみーんな引き取っちまうんだ!」とタタラ場の住民に言われていましたが、売られた女全員!目についたら何が何でも全員!という訳ではなく、かつての自分と同じく、このまま放っておけば女性として最も悲しい仕事をさせられるであろう遊女になりそうな(容姿の整った)女性のみ、みーんな引き取っちまってるのではないでしょうか?
そうではない女性はスルーしてるため、タタラ場には美人しかいない!
ヒドイようですが、いくら製鉄による収入が、売られている女性を何人、何十人もまとめ買いできるとほど潤沢だとはいえ、タタラ場の資金だって有限です。
ある程度の取捨選択は仕方がないのかもしれません。
さらにタタラ場の利益が上がり続ければ、タタラ場にも美人でない女性が登場することでしょう!
ちなみに、タタラ場にハンサムな男性がいない理由はいくら考えても、いくら調べても分かりませんでした。
アシタカのハンサムさを際立たせるための演出でしょうか?(笑)
それから、生命を与え・奪うと言われるシシ神様の変貌ぶりも驚くばかり。
呪いを受けたアシタカを見て、傷は癒しても呪いは消さなかったり、優雅に水の上を闊歩したり、気まぐれに、世俗のことには我関せず・・といった風情だったのに、自分の首がなくなると超必死!
メチャメチャうろたえて、首を探し回りながら周囲を無差別に大量虐殺!
それはもちろん、私だって首がなくなったら必死に探しますけど。(※生きてたら)
さすが、宮崎監督が「神の中では下級に位置する」と言っていただけはあり、人間臭いところもあるのかもしれません。
それとも、神を自然になぞらえられて、理不尽な天災などの災いを表しているのでしょうか。
以上、私が「もののけ姫」を見て気になった点でした!